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アーケード・ゲームは楽しすぎて
2025年8月27日
管理人
コラム
1979年(昭和54年)高校生になって、電車で通学するようになる頃には、街ではアーケード・ゲーム・ブームだった。ゲームセンターが至る所に出来て、帰宅途中の大学生・高校生を惑わしていた。
部活の無い日は、帰宅部の上田君と、ゲーセンでインベーダーを打つか、ギャラクシーを打ってから、帰るのが日課だったが中野駅で下車する俺が誘って、中野サンプラザ内のエレベーターで6階あたりに昇ったところにあった青少年コーナーの一角のジュークボックスで、吉川晃司さんの「RAIN DANCEがきこえる」を必ず聴いてから帰ることも、新たなルールになっていた。
休日には、中野ブロードウエーセンターの2階や3階にあったゲーセンで、ゲームをしたり、3階の明屋書店で立ち読みをしていた。特に好きなゲームは「月面着陸」だ。ゆっくり降下する着陸船を誘導しながら、月面の海(平らそうな場所)を探し、そこに向けて船体を傾けたり、一旦わずかに上昇させたりしながら、着陸させる。わずかでも、接地を誤ると爆発しバラバラになる。バラバラになるときは架空の搭乗員を悼んで、胸が痛んだ。もっと腕を上げたいと思った。
街中の空き店舗は大抵は、ゲーセンになっていた。誘惑だらけの町だったが、1ゲームあたり100円もするので、高校生や大学生がそう、やたら散財できるわけもない。
1980年台初頭の高校3年生向けの学習雑誌の付録についていた「モデルおこずかい帖」には、ゲーム代という勘定科目らしきものがあった。おれもそれに倣って、ゲーム代を毎月3,000円計上することにした。友人達のなかでもこの金額は少な目だったと思う。毎月3,000円ということは、つまり1日100円。1日1ゲームだ。一期一会。意味は全く違うことぐらいは知っていて、一球入魂のほうが近いことぐらいは判っていたものの、当時のおれは、これを「いちごいちえ」と呼んでいた。そのうちゲームもしなくなっていった。
大学生になり、部活をはじめ、部活の先輩がバイトをしていた、飯田橋駅からのゆるい坂の途中にあった喫茶店「パンドラ」で皆と待ち合わせするようになると、その席がテーブル型ゲーム機だったこともあり、またゲームに嵌ることになった。それは「平安京エイリアン」だ。
このゲームは、京都の町をあらわす碁盤目の四隅のうち、一か所は自分、3か所から鬼がでてくる。鬼に向かっていっても勝てず、勝つためには碁盤上にある多くの四つ角のどこかに落とし穴を掘っておく。そこに鬼が落ちたら、埋めるというゲームなのだが、落とし穴を掘り過ぎると、穴と鬼のあいだに自分がいてしまうことになり鬼に食われるので、落とし穴の掘り方には繊細な注意が必要になる。
「掘るのなら落とし穴は一つだけ」とか、「大概の落とし穴は自分の墓場」というのはゲームから学んだことだ。
いま私は2025年にいる。ブロードウエーセンター2階の純喫茶ジンガロで、「ギャラクシーⅡ」らしきものを専用コインを500円で購入してやっている。若い仲間達と来ているのだが、いつまでもゲームしている私が鬱陶しいらしい。いつまでもゲームしてないで、早く打合せしましょう、とか言われてしまう。時代が大きく変わったのだ、というか私の知らないところで、若者と老人が入れ替わってしまったようだ。昔は、延々とギャラクシーを戦い続け高得点出していれば、若者からは絶賛されて尊敬の的だったのに……
題名は八神純子さんの「思い出は美しすぎて」(1978)を参考にさせていただきました。
(キムラ)
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